岐阜で住宅の設計をしている事務所です。

2014-06-23

いえの記憶。

父親の設計した生家には、玄関へ至るアプローチの両脇には水庭があり、壁面の小さな瀧から常に水が流れていた。
私が小学生の頃に完成した我が家が、他人の家と決定的に違う部分でもあった。

住宅で暮らしていく中で、プールや水盤といったものは非常に美しい一方、メンテナンスに非常に手間がかかる。
なので我が家でもいつしか水を張ることは少なくなり、ここ10年位は全く水を貯めていなかった。
(クライアントにも、実体験に基づき、はっきりいって水盤はオススメしていない。)





が、最近水を貯めてみた。
何を思ったか覚えていないが、とりあえず思いついてやってみた。
瀧から3本の水が溢れ、みるみる水盤ができあがった。
そうするといきなり、普段毎日来ているこの建物が、なぜか無性に懐かしいものに変わった。

明らかに自分の家で、自分が育ってきた家なんだという実感がアタマの奥底の方に湧いてきたのです。忘れていたものを思い出した、というのが正確かも。
嬉しくもあり、寂しくもあり…という複雑な感情も押し寄せた。
(ノスタルジーというやつか)

水でていて、たまっている。昔はコイを飼ったりもしたな―
これほどまでに「幼少の自分」と「家」が密接につながっているということは想像していなかったので、非常に驚いたのです。
(自分、ものすごくドライだもんで)


人にとって、家族にとって、生活する家は必ず必要だが、その形態はたくさんある。
賃貸のアパートやマンションや、コーポや建売やハウスメーカー、地方のビルダー、建築家の家…。

どんな家であっても、子供はそこで暮らし、そこで育ち、あるいは生まれることで、かけがえのない記憶になるし、その子供を形作る大きな要因になるんだ、と改めて強く思った。

いちおう、口では「建売でもOK.マンションでもいいんじゃないの?ひとそれぞれだから」と言うようにしているけど、それは大人目線の話しであって、大人の都合であって、大人の損得勘定である。

やっぱり育つ子供にとっては戸建ての家が一番いいと思った。
庭であそんで、植物を植えてみたり、イタズラしてみたり、自分が育っていって自分の部屋をそのなかでつくったり、友達が遊びに来たり、友達の家に遊びに行ったり。
雨風がしのげればどこでもいいわけでもなく、駅が近いとか売りやすいとかではなく、生活できればいいや、ではなく。

引っ越しするのが何となくイヤで、やはり、子どもにとって、とってもとっても家は大事なんだと思いました。

0 件のコメント: