私は、美術自体を評論家的に見ることは得意ではないです。
つまり、作品が評価されるときに考慮される「時代背景」や「技術」や「新しさ」、「美しさ」、などの細かい部分は全く興味がなく、研究者でもないので知ろうとする気もありません。
なにか気になるものがあれば、それに近づいて、覗いて、何が気になったかを明らかにしておしまいです。(恥ずかしながら…)
その意味で、横山大観はとてもおもしろい!
技術的には明らかにヘタ(!)で、上手さなどはまったく目指していない(?)のが分かる。
一つの絵の中に「本当に書きたいもの」が1つ2つだけスポット的にあり、それを書くことが目的で、書きたいものと書きたいものの間にある部分は「ただ適当に辻褄を合わせているだけ」という印象を受けました。
だからパースも狂うし骨格の構造もおかしくなるし、局所的にしか見ないので「子どもっぽく」なっている。
だが、それがイイ!!。
それは、私が目で見るときに「1枚の写真のように見れない」(注視している部分以外はうまく認識できない)という特徴と符号するからかもしれません。
技術的にうまい絵をみても「あー、うまいよね」としか思わないし、世界が十分に美しいからわざわざ見に行くことはほとんど無いけど、大観はとてもおもしろかったです。
順番に作品を見ながら、大いに笑い、大いに悩むという、不思議な時間でした。
私がつくる建築もそのようなものを目指しています。
前期と後期で入れ替わりがあるとのことで見れない作品もいっぱいあった。 2回ともいけばよかったなあ |
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